陰陽五行の話



風水と陰陽

風水では山の脈と水の流れる方向、方位により吉地を見分けます。多くの場合、風水は葬に重きを置き、隠宅でみます。隠宅とは、死者の身体を埋める墓のこと。
一方、日本では陽宅での風水判断が盛んですが、本来の朝鮮の風水思想からは少し違うのです。日本では風水思想で隠宅の穴(けつ)にお入りになることができるのは、天皇家だけです。というのも、天皇家だけは土葬ですが、日本では火葬が法律で定められていて、風水の本質をなす死者を母体たる地中に復帰せしめて、この母体から再び新生命を出生させるということが出来ないからなのです。
この葬に関する原始的観念は、「死とは未生の本拠に帰ること」であり、「葬は母体に入る」こと、そしてその母体、大地から再生するという観念です。この風水の本質をなす生気、精気の観念は人の運命を規定するなんらかの力が土地にあるとしている民間信仰に他ならないのですが、この信仰は単なる相地法・占地術にはとどまらず、根底に陰陽、五行説を備えています。男(陽)と女(陰)の融合、陰陽の中和、陰陽両気が融合して新しい生が誕生する。この生も、時と共に旺(おお)じれば、休(きゅう)し、また老いて,死して骨骸となる。この骨骸を地に帰して精気に乗ぜしめて、その子孫の発展繁栄を求めるのです。
連綿たる親子のつながりは血の連続でもあり、精霊のつながりでもあるのだから、子孫繁栄をその親及び先祖の再生とみなしているのです。

その風水説では、土地の吉凶によって人の運命を左右することが出来るというところから、特に父母の屍体を吉地に葬れば子孫の繁栄発達を得られるため、韓国では現在も風水の穴(けつ)探しを本気でしている人が多く、休日には羅針盤をポケットに、自称風水師・風水研究家などが山から山を歩いています。
しかし吉地を探し当てたとしても、日本の墓地のように畳1枚分の広さから購入するようなわけにはいきません。なにせ、右手に見える山、左手に見える山の脈の状態から判断し、その上、川の流れやため池など永遠に変わらないことが条件であるのですから…!