陰陽五行の話



気功と香り

人間が存在するということは匂いも存在するということです。同じ匂いの人はいないらしい。木の葉と同じといいますが、その点、人間の顔も同じ顔の人はいないから匂いに関してもうなずけます。となると、自然が与えた天然香をもっと知らなくてはなりません。

さて、健康は気と関係があります。気の強い人は生き残る。気の弱い人は生き残らない。ここまで断言してもいいのかしら、とお思いでしょうが、ある中国の気功術をされる人がこう言われました、「人間が死を迎えるとき、最初に気が断絶する。その時、まだ神経とか脳は生きている。そして何時間か後に人間は本当に死ぬのだ」と。この何時間かの間が大事なのです。死をむかえて親族の人々が寄り集まって嘆き悲しみお別れの言葉をいうのを死者は聴きながら見ながら自分の死を認め、納得するらしい。
禅宗の僧が葬式で死者に対して行うのはまさにこのことだと思う。あんたは死んだ。この世に生きていた時はこのようなことをしてきた人間であった。だがそれも終わったのだと悟らせるのです。
浄土真宗では「それ、人間の浮正(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり……今日とも知らず、明日とも知らず……されば朝(あした)には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり……」この御文章の白骨の章を聞きながら、残された人間は人生のはかなさを思うのです。
死とは存在がなくなることであるから、匂いもなくなります。しかし、人間の記憶にインプットされた匂いは消えません。残り香が、残されたものの悲しみを誘うのも事実であれば生存の証でもある。
この人間本来の匂い、採れたての果実のような訳にはいかないまでも、いい匂いにすこしでも近づかせたいものです。
老化と病気と匂いは正比例します。そのための気功・香功が中国4千年の知恵として残っています。気を通して匂いを澱(よど)ませず、そして気を丈夫にするのです。