陰陽五行の話



陰陽五行思想とは

陰陽五行思想とは中国古代哲学のことです。日本には朝鮮から僧侶が伝えました。時代は定かではありませんが、663年百済滅亡後、多くの百済からの渡来者が日本に入ってきてから陰陽五行思想は盛んになったと言われています。天武天皇時代は、壬申(じんしん)の乱の後、陰陽寮(陰陽五行説にもとづく天文暦数・ト筮・相地 <方角・地相> などに関する学問と方術で、その目的は禍を避け、福を求めること)を設け長官・副長官・陰陽師・陰陽博士など各専門職員を配していました。日月と十干・十二支の運行・配当を考え、相生相剋の理を推察して歳月・日時・方位・一身・一事・諸事など吉凶禍福を占ったのです。  

術を司る者を陰陽師、家筋を陰陽家といいます。賀茂家と安倍家が2大勢力。陰陽道は本来家が継ぐ性格のものではありませんでしたが、両家の場合は世襲としたので秘儀としてベールにつつまれていきました。そして鎌倉・室町・南北朝時代と、時の権力(将軍や公家)と結びつき勢力を保ったのです。
徳川時代になるとその権力は絶大の影響力を持ちました。家康は、陰陽五行の奥儀を体得して天源術を創始した僧・天海を重用し、家康死後もその影響は続き、三代将軍家光まで仕えました。早い話、年中行事や祭りごと医術・農業の基礎原理となり、権力者にとっては軍事や人心掌握のための占儀を陰陽師にさせていたのです。

明治時代までは、この陰陽五行思想は自然把握と人間把握そして見えない大いなる力、それを天と呼ぶならば天とつながるための方法でした。その占儀は自然科学として認識されていた一方で、人間の計り知れない世界・霊界に対する認識も極めて大きく、故に現代人からするとばかげた様に思える呪術や祭儀も当時は国家戦略として大真面目に行われていたのです。

またこの思想にはまた仏教の「三界」の世界観(衆生が生まれて死に輪廻する領域としての三世界、すなわち欲界・色界・無色界)が底流に流れています。明治維新後の日本はご存知のとおり西欧文化をとりこんでいったため、国家の中枢を担っていた陰陽五行思想は表舞台では完全に迷信とされ消え去ってしまいました。しかし、その後明治・大正・昭和・平成の今日、今だその伝統は受け継がれ密かに人々の心を捉えてやみません。

【参照】三界

欲界:最も下にあり淫欲・食欲の二つの欲を有する生き物の住む所。 欲の盛んな世界でこの中には地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道がある。

色界:欲界の上にあり淫欲と食欲とを離れた生き物の住む所。欲を離れた清らかな世界。四禅天より成りこれを分けると十七天となる。

無色界: 最上の領域で物質を超えた世界。精神のみが存在する。高度の精神世界。


●天を仰ぎ見、占う。 日本では武勇に優れ天文・占術に長けていた天武天皇がはじめての占星台を作りましたが、その占星台は残っていません。一方、朝鮮半島では、新羅時代に製作されたものが世界最古の天文気象観測台としてその姿を伝えています。瞻星台(チョムソンデ)と呼ばれています。

この天文台は新羅に始まったのではなく高句麗・百済(4世紀ごろ)にはすでに使われていたといいます。天の運行を見て、地の作物等の生産計画を立てていたのと、君主・王が天命を伺うための聖なる場であったのです。
その占儀は一大国家行事であったであろうことは疑いの余地もありません。また、これより早くに古代中国(数千年前)では既に五惑星が発見されていました。それぞれの惑星を観測して、木星が12年で太陽の周りを1周することを知り、この木星の通る道を12に区分けして地球での時間を知るために役立てたのです。

さらに太陽も五惑星も天空上の同じ所を通ることも確認していました。これを「黄道」といいます。そして狩猟民族や農耕民族に分かりやすく教えるためにこの12区分に動物の名前をつけました。それが十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)です。ちなみに黄道が赤道と交わる点が春分点・秋分点です。

陰陽道では何事をなすにも吉なる日を黄道吉日といいます。ここで気になるのが、なぜ黄という字をつけるのか。黄色は元来、正色(陰陽五行思想の体系の中で青、赤、黄、白、黒の5色は方位や季節、十二支を象徴するものとされている)で、しかも、方位では中央を、万物の5要素(木、火、土、金、水)の土を表すのが、まさに黄色なのです。 中国では天子は黄衣、寿牌も黄牌といいます。仏教経典も黄紙朱軸といって黄色の紙に書いていました。そしてあの世のことも黄泉といいますし、あの釈尊も黄頭大士といいます。黄色はとてつもない色なのです。 こんな経験がありました。私自身が主人公のイベントがあった際に、心密かに思いがあってこの高貴なる黄色をタイシルクでつくり、それを着てそのイベントに臨みました。すると日本人でインドネシアの新聞社の東京支局長がこう言われました。「すごい服着ていますね。これは普通の人は着ないでしょ!」五行を知っていたのかな?

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占儀例
自分自身何をしたらいいのか分からない人は

自分自身の宿命をみて五行のなかで無いものをすればよいのです。
例えば1948年1月31日生まれで男性、この方の星は
乙 癸 丁
卯 丑 亥
これから精神世界の星をわりだすと、水・木・火・土はあるが金が無い。この金があると五行がぐるぐる回るのです。回ることによってこの人の運も好転していくのです。金は攻撃・行動の星ですから、忙しく自分が走り回らなければなりません。と同時にこの金星の作用で自分自身の内にある才能が一番輝くこととなり名誉がついてくるようになります。

職種は様々ですが、根本となる攻撃行動することさえ本業にすればよいのです。またこの人は相当しぶとい本質を持っていますので踏まれても踏まれても雑草の如く生きます。よくコンクリートのひび割れたところからにょっきりと姿を現していて花まで咲かせているあれです。また子丑天中殺で生月中殺ですので、家系や親から恩恵が受けられなく、一代大成運の人です。2001年は辛巳の年・2002年は壬午。この年運と本人の星をみると社会の場で両年水火の激突があり、立場が変わるとされています。さあこれは誰のことでしょう? (ヒント:2002年外務省問題で世間を騒がしたS代議士)